先代・阿部嘉弘のヒストリー

祖父が開業した喫茶店を引き継いだ父のヒストリーです。

ホワイトからルブランへ

1942年生まれの父・嘉弘は祖父と180度違う人種かもしれません。

祖父がカリスマ経営者であったとするならば、父は大学教授肌タイプの勤勉家。祖父が作った喫茶店「大倉山ホワイト」を激動の時代に守り抜いた二代目と言えるでしょう。

祖父が高齢になり、大学を卒業した父が「大倉山ホワイト」を継ぐことになります。結婚した嘉弘は妻・美恵子と共に喫茶店経営に注力します。経営が祖父から父に変わるタイミングで、屋号を「ホワイト」から「ル・ブラン」へ変更。客の入れ替わりが激しい「大衆喫茶」からゆっくりくつろげる「喫茶店」へ変わっていくのです。

明るい時代のル・ブラン

時代は昭和の高度経済成長期に突入。ル・ブラン(LE BLANC)はフランス語で「白」という意味です。祖父から譲り受けたホワイトの名前を残しつつ、当時フランス語を勉強していた父のこだわりが感じ取れます。「ホワイト」から「ル・ブラン」に変わるタイミングで、店をリニューアルオープンし、メニューも変更。珈琲ドリンクメインの喫茶店から、トーストモーニングやハンバーグランチなど、食事メニューを増やしました。朝は出勤前のビジネスマンがトーストモーニングを、昼休みにはランチを、お昼すぎには文化ホール帰りのマダムがケーキセットを。その結果、店は大繁盛。朝早くから晩までバタバタ父と母が働いていた姿が先日のように思い出せます。

喫茶ル・ブランのカウンターにて 父と母

不景気に突入するル・ブラン

時代は昭和から平成に入り、バブル景気が崩壊。不景気が長引く中、さらに追い打ちをかけるように1995年に阪神・淡路大震災が発生します。喫茶店は半壊。店の食器の半分以上が割れ、水の確保も難しい状態が数週間続きました。やっとの思いで再開した喫茶店でしたが、客足は震災前に比べると激減。当時小学生だった私でさえ「お店大丈夫かな?」と心配したことを思い出します。

店をたたむ同業者や仕入れのコーヒー豆の値上げが続きました。また、世の中ではスターバックスやタリーズなどフランチャイズの店舗が町中にでき、若い世代が喫茶店に入る文化がいつしか消えかけてしまった時代です。しかしル・ブランは地元の常連さんに親しまれ、なんとか店を続けることができました。

ル・ブランの閉店

不景気を何とか乗り越え、1981年にリニューアルオープンしたル・ブラン。激動の時代、喫茶店経営に力を注いだ父はもう70歳を過ぎ、地元の人に惜しまれながらも2016年に閉店しました。

喫茶店を一度も継いでほしいと言わなかった父。自分のやりたいように生きなさいと導いてくれた父。そんな父が閉店を決めたとたん、今まで特に感じてこなかった喫茶店愛が芽生えてきました。実家に帰っても何とか続けることは出来ないか、祖父が築き、父が守ってきたコーヒー屋さんを私も引き継ぐことは出来ないだろうか。喫茶ル・ブランの閉店が新しい焙煎士を生み出そうとは、まだこのとき誰も想像しておりませんでした。

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