初代 阿部忠太郎のヒストリー

珈琲焙煎小屋「ルブランコーヒー」は、祖父・阿部忠太郎が神戸に開業した喫茶店がもとになっています。ファミリーヒストリーを御覧ください。

徳島から神戸に出てきた一匹狼

「珈琲焙煎工房ルブラン」の元になっているのは、祖父が創業した喫茶店「大倉山ホワイト」です。

私の祖父・阿部忠太郎は明治37年12月18日、徳島県で生まれました。自然に囲まれた徳島には当時農業以外の仕事はわずかしかありませんでした。また、忠太郎は次男であり家業を継ぐ将来は約束されていなかったため、彼は仕事を求めて兵庫県神戸市に移住します。第2次世界大戦が激化する前、妻・正子と共に三宮そごうの南で喫茶店「滝道」を開業しました。

阿部忠太郎 喫茶ホワイトのカウンターにて。

当時の神戸にはまだ喫茶店の数は少なく、喫茶店「滝道」は大盛況。しかし、戦争が激化し、経営存続が難しいと判断した忠太郎は妻と子ども3人を連れて自身の故郷である徳島へ疎開することを決意します。

終戦後、家族を連れて徳島から再び神戸に移った忠太郎は、1948年神戸市兵庫区に喫茶「元滝道ホワイト」を開業し、再び喫茶店経営に精を出します。戦後の物資食糧不足の中、労働者や大衆庶民に重宝された「元滝道ホワイト」。朝5時から夜12時まで営業してもいつも満席だったそうです。

商才に溢れたビジネスマン

阿部忠太郎はビジネスセンスの嗅覚と行動力に長けていました。

テレビが発売された直後、まだ一般庶民には到底払える金額ではなかった高級品だった時代に誰よりも早くテレビを購入し、喫茶店に設置しました。すると店はテレビが見たい客で常に満席だったそうです。

また、カットしたスイカにかき氷を乗せた”氷スイカ”をメニューに加えると暑い夏に大ヒット。さらにミルクコーヒー(現代のカフェオレ)を”ミーコー”と称して流行らせました。「これは売れる!」と感じたものに対しての投資を惜しまなかったそうです。

激動の時代に様々なアイディアで商売をした忠太郎は、神戸市中央区に2店舗目となる「大倉山ホワイト」とオープン。また、友人と組合を立ち上げ、「新開地ホワイト」「松原ホワイト」など約50店舗まで喫茶店を増やすことに成功しました。

親戚想いのお人好しな男

商才に優れた忠太郎でしたが、困った人を放っておけない人情深い男でもありました。

戦後、職を無くした親族や配偶者に先立たれて途方に暮れる身内に対し、喫茶店を用意し、店を経営させるというやり方で彼らに救いの手を差し伸べました。喫茶店開業の資金を負担し、経営ノウハウを伝授し、独り立ちするサポートをしたのです。カリスマ経営者と言っても過言ではありませんが、驚くことに彼は独り立ちさせた後はそれ以上の見返りを求めなかったそうです。そのため、現在で言うところのフランチャイズ化の仕組みまでは作りませんでした。残念ながら私が生まれた頃にはもう他界していた祖父。彼の武勇伝を聞くと、孫ながら尊敬します。

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